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旅立ち

kage

2015/06/13 (Sat)

私のおばあちゃんが亡くなった。97歳だった。
おばあちゃんは私が子供の頃、実家で一緒に暮らしていたので、乳母車(ベビーカーと呼ぶ時代ではない)に乗せられて散歩に連れて行ってもらったり、おんぶしてもらったり、ずっとおばあちゃんにくっ付いていたのを憶えている。
お葬式で親戚の人に、「あなたはおばあちゃん子だったよね」と言われた。
本当に、私はおばあちゃんが大好きだった。

実家から亡くなったとの知らせを聞いたのは、出勤前で家にいた朝だった。
おばあちゃんの呼吸がおかしいと、先にメールが来たので、実家に向かう支度をしなくちゃ、職場に休むと連絡しなくちゃ、まず夫にも連絡しなくちゃ、と、わりと冷静に淡々と用事を済ませる自分がいた。
そして、直後に亡くなったとの連絡が来たときは、ああ、数珠もいるよね。と、落ち着いて準備をする自分を客観的にみた瞬間。
あれ、私何やってんだ? 何でお数珠なんて持ってんだ? と、間を置いて考えてみると、急に心臓がドキドキして、胸が苦しくなった。自分でも何故だかわからない。
本当にやってきた身内の死を、あっさり受け入れる自分に拒否反応を起こしたのかもしれない。

何ヶ月も入院していて、ここ数日は食事(流動食)ものどを通らず、呼吸も苦しそうで、家族も「そろそろかもしれない」という覚悟があった。
なにせ、97歳だ。本人もお迎えが来る日の心構えが出来て、葬式には誰を呼べと指示していたほどだ。
悲報を聞いてから車を走らせ実家へ到着すると、病院から戻ったおばあちゃんを納棺師が丁寧に着替えさせてくれるところだった。家族は葬祭センターの人との打ち合わせや訃報を聞いて来てくれたお客さんの対応に追われていた。しんみりムードではいられない。
私もお客さんのお茶だしを手伝い、バタバタとせざるを得ない状況で、悲しみにくれる時間がなかった。
ふと、気がつくと、実家で暮らしている私の姪っこ(おばあちゃんのひ孫)が、おばあちゃんのご遺体の側でシクシク泣いていた。
大人たちは葬儀の準備に忙しい中、子供たちはストレートにおばあちゃんの死を悲しんでいた。
大人も、おばあちゃんの思い出話をして、何も手を付けられずに悲しんでいられたらどんなに良いだろう。しかし、否が応でも葬儀の準備はせわしなくて、慌ただしいうちに時間が過ぎていく。

97歳のおばあちゃんの葬儀に、大勢の人が来てくれた。親戚参列者合わせて300人は居たかもしれない。お寺さんも30人も来られて、それはそれは盛大な葬儀だった。
おばあちゃんの人柄が偲ばれた。
仕事を休んでいつまでも実家にいる訳にいかない。日常に戻らないといけないので、お通夜葬儀の翌日には仕事に出る。
職場には、我が家に不幸があった事を知らない人もいるので、構わずいつも通りに働く。笑顔で接客するかけ離れたギャップに私の精神状態は自分では普通に思えたけど普通じゃなかったかもしれない。

葬儀の翌日、店に腰の曲がったおばあさんのお客さんが来た。孫と一緒にカウンターでポテトを注文している。
それを見たとたん、「おばあちゃんも一年前には元気に歩いていたのに」「もうおばあちゃんはいないんだ」「ポテトを食べさせてあげたかった」と、いろんな心の内が回って、ポテトを揚げながら涙が出てきた。
おばあちゃんは、私には優しかった。何をしても怒らなかったし味方だった。
私はおばあちゃんに何をしてあげられたのかな、もっとたくさんお見舞いに行ってあげればよかったかな。
おばあちゃんの亡くなった数日後に、悲しみが押し寄せ、どうしようもなく悔やまれた。

大正昭和平成と、激動の時代を生き抜いて、短い言葉では言い表わせない強くて立派な女性だ。私が死んでもあれだけ多くの参列者は来ない。

長生きする人は、長生きする意味があるからだ。
理由があるからこそ長生きさせてもらえるのだ。

おばあちゃん。
今までありがとう。
私もおばあちゃんのように、強くたくましく明るく生きていくね。

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