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住む世界が違うと、幸せになれない?

kage

2013/03/03 (Sun)

 今週の「泣くな、はらちゃん」よかったなー。切なくて優しい気持ちになれるドラマだよ。
 なんだか、はらちゃんはあの人に似ているな、とふいに思った。
 質問ばかりで常識的なことがわからない。会話はできるけど赤ちゃんのように知らないことだらけ。
以前テレビで観た「坪倉優介」と言う人のようだ、と。

 坪倉優介さんとは、交通事故で大学生のときに記憶喪失になるのだが、普通の記憶喪失と違って、食べる、寝る、といった生活の基本的なことまでわからなくなる。つまり、通常の記憶喪失とは、自分が誰かわからない、母親の顔を見ても思い出せない、自分の家も覚えていない。というもの。
けれど、彼の場合は炊飯器のご飯を見てもそれが食べ物なのか何なのかわからない。「キラキラした宝石のような粒々」と思ったそうだ。鉛筆を見ても何をするものかわからない。「字を書くもの」と言われても「字って何?」と聞いてしまう。これまで当たり前だったことすべてわからなくなってしまったのだ。
 もちろん母親もわからない。だが彼の場合、「お母さんって何、生んだって何」と言う具合に「母親」という言葉の意味自体がわからないのだ。赤ちゃんの頃の写真を見せても「これは自分じゃない、こんなに小さくない」と言う。まるっきり『はらちゃん』だ。ただし、はらちゃんと違うのは、坪倉さんは「感情」も失ってしまっていたのだ。
 それで坪倉さんはどうなったかと言うと、記憶が戻らないまま大学に復学するが、一日中周りの人に質問攻めをし、周りとの生活がうまくいかず引きこもりになってしまう。でも、そんな彼の姿を見て悲しむ母の涙を見て初めて「感情」を知るのだ。
 やがて、自分で勉強しいろいろなことを覚えていき、自然と「感情」も芽生えていく。そして、これまでになかった才能を手に入れるのだ。
 彼にしか出せない色彩感覚を発揮し、今は自分の工房もかまえて着物の草木染色の仕事をされている。
 まだ記憶は戻らないし子供の頃の記憶は無いけど、母親の愛情ははっきりわかるとおっしゃっていた。脳は優しい家族で育てられるものだ。

 ドラマの「はらちゃん」も分かりきったことを質問しても、周りは親切に教えてあげている。純粋で素直な「はらちゃん」は何でも吸収している。
 はらちゃんと比べたり例えるのは、ちょっと外れている気がするけど、坪倉さんの脳は事故で損傷しても怖ろしいスピードで再生され、失った記憶の変わりに得た才能もある。彼はもう一人の自分としての人生を送っている。
 人間の記憶は自分でコントロールできないもので、忘れたくても残っていたり、肝心なことは忘れたり。都合のいい部分だけ忘れられたらいい、とはいかない。
 もしある日突然、記憶すべてがチャラになって、再稼動するとしたら、キレイなことだけどうか教えて欲しい。いらん事は教えてくれなくていいからって身勝手に思ってしまう。いっそ性格も変われば一度の人生で二度生きているようなものだ。
 ただ一生懸命生きていれば、知らなくていいことを知らないままでいても、ちっともかまわないから。
 坪倉さんの著書は読んでないしテレビで観たのを思い出して書いているので、坪倉さん自身が何を思い感じておられるのか、知らないまま勝手に書いている失礼な私です。
 凡人では簡単に理解できない、ひと言で言い表せない人生を送っておられるのだと思う、なのにそれを「はらちゃんと一緒だー!」とほざく私を許してください。


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