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ライアーゲーム最終回の奥深さ

kage

2015/07/09 (Thu)

ドラマ版シーズン1の最終回を久しぶりに観て、改めて発見。
「漫画の最終回と共通しているではないか。結局、作者さんの言いたかったテーマは、そこなんだな」と思いました。

ドラマでは、病気で入院している主催者に会いに行ったアキヤマが「ゲームの目的は何だ」と聞きます。
すると「彼女(ナオ)の純真さがいつまで耐えられるのか見たかった」と言います。
「そんなことの為に」とアキヤマは言いますが
「人を疑うことを知らない無垢な少女を愚かと感じる多くの人は、人を疑い傷つけることに慣れている」
「そして私は思い知らされ救われた。お前(アキヤマ)も救われただろう」と言います。
さらに
「この世の中もライアーゲームと同じ」と言っています。
まさに、最後にアーチアさんが言ったこと同意。
『アメリカだって日本だって権力者は民衆を騙すことばかり考えている。騙されて傷ついて、それでも人々は知恵を出し合い力を合わせて得た信頼はとてつもない力を持つ。』

ライアーゲームのラストについては、賛否両論あります。むしろ酷評が多いですよね。
確かに決勝戦はあっさりしすぎて、これまでの凝った作りではなかったです。しかし、そんなことはどうでもいいんです。
この漫画のテーマはそこではないので。
入札ポーカーでもハリモト以外の全員が、ナオを信じ結束したから、他のプレイヤーは負債の無いまま負け抜けできました。
四国志ゲームでは、ヨコヤが突然良い人になり意外でしたが、ヨコヤがライアーゲームに参加し続ける目的は大金を得るためではなく、アキヤマ、ナオを倒すため。しかしナオのお陰で本当に越えたい相手は父親だったと気付かされました。そのため、アキヤマの本来の目的、事務局を潰す結果に手を貸す形になりました。
人間オークションのときにレロニラさんは言いました。「騙し合いのゲームにもかかわらず、しっかりとたくましく「信頼」が育っている」と。
最終ゲームに近付くたびに、少しずつ信頼の強さが結果に現れるようになってたように思います。

私は漫画「ライアーゲーム」は、人を信じる美しさと、暗闇の中にいた青年が純真無垢な少女に出会い救われる、という青春漫画だと捉えています。
ドラマでも主催者はアキヤマに
「乗り越えたか。憎しみを」と言っています。
暗い過去から抜けさせなかったアキヤマを、ナオは心配し助けたいと思っています。しかし、助けられたのはアキヤマの方。
ゲームがラスト、あやふやに終わってますが、そもそも結末など事務局も分からない。
元になった小説の最後は誰も分からないのだから。
「決着が付かすプレイヤーが団結。勝負を放棄」
これこそが小説家が書いた、正しい結果なのではないかと。

ネット上でいろいろ言われてますが、頭の良い人が書いた漫画は高尚なので、深読みしないと分からない漫画だなぁと、憶測がすぎる気もしますが、ライアーゲームをこよなく愛する私はひいき目で思います。